『寒山拾得』 (かんざん じっとく) その4 ‐本文(C)‐    著:森鴎外


【還暦ジジイの解説】

今回は、本文のCです。

短編小説とは言え、WEB上で読むと長いので、A、B、Cの三つに分割しました。

お急ぎの方は、今回の本文(C)だけ読んで頂ければ結構です。

さらにお急ぎの方は、「本文(C)の要約」だけ目を通して頂ければ間に合うと思います(笑)


なお、A,B,Cの段落は、私が付けたもので、原文には有りません。また、原文の順序はA,C,Bと成っています。


【登場人物】

閭丘胤(りょきゅういん):台州の主簿(しゅぼ)(日本で云えば県知事)。

豐干/豊干(ぶかん):乞食坊主。お釈迦様ではないか。

寒山(かんざん):石窟(せっくつ)に住む小僧。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身だと豊干が言う。

拾得(じっとく):国清寺(こくせいじ)の小僧。普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身だと豊干が言う。

道翹(どうぎょう):国清寺の僧侶。


〔本文は旧仮名遣いです〕

『寒山拾得』  森鴎外

 - 本文(C) -

 全體(ぜんたい)世の中の人の、(どう)とか宗教とか云ふものに(たい)する態度に三通りある。

 自分の職業に()を取られて、(ただ)營々役々(えいえいえきえき)年月(としつき)を送つてゐる人は、道と云ふものを顧みない。

 これは讀書人(どくしよじん)でも同じ事である。

 勿論(もちろん)書を()んで深く考へたら、道に到達せずにはゐられまい。

 しかしさうまで考へないでも、日々の(つとめ)だけは(べん)じて行かれよう。

 これは全く無頓著(むとんちやく)な人である。


 次に著意(ちやくい)して道を求める人がある。

 專念(せんねん)に道を求めて、萬事(ばんじ)(なげう)つこともあれば、日々の(つとめ)は怠らずに、()えず道に志してゐることもある。

 儒學(じゆがく)に入つても、道教に入つても、佛法(ぶつぱふ)に入つても基督(キリスト)教に入つても同じ事である。

 かう云ふ人が深く這入(はい)り込むと日々の務が即ち道そのものになつてしまふ。

 (つづ)めて言へばこれは(みな)(どう)を求める人である。


 この無頓著(むとんちやく)な人と、道を求める人との中間に、道と云ふものゝ存在を客觀的(かくくわんてき)に認めてゐて、

それに(たい)して全く無頓著だと云ふわけでもなく、さればと云つて自ら進んで道を求めるでもなく、

自分をば道に疎遠(そゑん)な人だと諦念(あきら)め、別に道に親密な人がゐるやうに思つて、それを尊敬する人がある。


 尊敬はどの種類の人にもあるが、(たん)に同じ對象(たいしやう)を尊敬する場合を顧慮(こりよ)して云つて見ると、

道を求める人なら(おく)れてゐるものが進んでゐるものを尊敬することになり、こゝに言ふ中間人物なら、自分のわからぬもの、

會得(えとく)することの出來(でき)ぬものを尊敬することになる。

 そこに盲目(もうもく)の尊敬が生ずる。

 盲目の尊敬では、(たまたま)それをさし向ける對象(たいしやう)正鵠(せいこく)を得てゐても、なんにもならぬのである。


【出典】

 「日本の文学3 森鴎外(二)」 中央公論社  1967(昭和42)年2月4日 初版発行

 初出 大正5年(1926年)1月


【還暦ジジイの解釈  本文(C)の要約】

 世の中の人には、「専門的な何か」((どう)とか宗教とか)に対する態度が、3通りある、と鴎外は言っている。

 1.「専門的な何か」に無関心(無頓着)な人。

 2.「専門的な何か」を探究する人=専門家 ----- 儒学、道教、仏法、キリスト教など「何であろうと」これに専念する人。

 3.無関心な人と専門家との間に居る中途半端な人(中間の人)=多少(かじ)った人 ----- 専門家を尊敬する。

 この3通りの中で、3番目の中途半端な人(中間の人)こそが「盲目の尊敬」が生じ、非常に危険である。


【還暦ジジイの(たとえ)話 その1】

 老後になって関節の痛みが奔る。

 グルコサミンが効果があるよと広告や知人の薦めがあっても、この手のサプリメントを嫌う人は全く聞く耳を持たない。

 これが1番目の無関心な人。

 専門家である自分は、グルコサミンの摂取が最も良いと知っている。

 よって、グルコサミンを勧める各メーカーの案内書を読み判断し選択する。

 これが、2番目の専門家。

 3番目は、グルコサミンが効果がある、と、少し勉強して知っている人。

 この人は、薦める人や、または、メーカーの信用度、CMの女優の笑顔などなど、本質とは違う要素で、判断し選択する。

 この3番目の人が、一番(だま)されやすい。


【還暦ジジイの(たとえ)話 その2】

 1.読書が好きでスポーツが苦手。だから野球やサッカーなんて全く観ないし、関心ない。

 2.野球が大好きで小学校からリトルリーグに入り、高校では甲子園に出場!優勝!現在プロ1年目。

 3.野球が大好きで小学校からリトルリーグに入り、高校でも頑張ったが県大会一回戦で敗退。現在は普通のサラリーマン。

 この3番目の人は、プロ野球選手が如何に凄いかを実感している。活躍していないプロ野球選手をも尊敬している。

 この3番目の人は、プロ野球選手の言うこと、或いは、薦められることは、他の人より信用する。


【還暦ジジイの追記】

 この段落は、鴎外の意見であり、「盲目の尊敬」と云うものを(いまし)めている。

 鴎外が『寒山拾得』で表現したかった主題である。

 第三者として客観的に見れば、(だま)された人を馬鹿にしてしまう。

 しかし、いざ自分が当事者となれば、いとも簡単に(だま)される。


 男の場合だと、呑み屋の姉ちゃんか(笑)

 姉ちゃんに言わせれば、呑みに来る男なんて、赤子の手を(ひね)る様なものだ、と言う。

 だって、騙されたくて来てるから ・・・ あははは


 例えば、日本では「東京大学卒」なんて聞いただけで、盲目的尊敬をしてしまう。

 これは、本当に凄いブランドである。

 或いは、「トヨタ自動車の役員です」「テレビ朝日の役員です」なんて聞いただけで、恐れ入ってしまう。


 庶民的な例で云えば、霊媒師(れいばいし)とか、占い師、新興宗教の教祖とか、であろうか。

 隣近所、知人などが、皆、口を揃えて、「よく当る」と言う。

 神棚の前で真っ白な法衣(ほうえ)(まと)った老婆(ろうば)が、意味不明の呪文(じゅもん)みたいなものを(とな)える。

 信じない人は、思わず吹き出してしまう。

 しかし、(わら)にも(すが)る思いの人は、信じる。


 ところで。

 閭丘胤は、この後、寺の堂の壁や山の木片に書き散らされた詩を拾い集めて、『寒山詩集』を編んでいるんですね。

 そう!寒山は実在の天才なんです!

 寒山は奇人として有名だった様で、この噺は寒山に(まつ)わる挿話(エピソード)を基に創作されたらしい。

 拾得は架空の小僧だそうです。



 <その5へ続く>


【語彙説明】

○ 着意(ちゃくい) ・・・ 1.気をつけること。注意すること。2.思いつき。着想。



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