『銭形平次捕物控』 「血潮と糠」 二 (ちのりとぬか) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
いや~、「番太(ばんた)」なんて聞いたこともない。
テレビではきっと放送されなかったに違いない。
番太は、江戸時代に、夜警、浮浪者の取り締まり、牢獄・刑場などの雑用に携わっていた人たちのことで、
番小屋と呼ばれる粗末な家に住み、多くは非人身分であったらしい。
いつも疑問に思うのは、戦国時代、戦が終った後には、何百という死体が打ち捨てられている。
名だたる名将でも、首を刎ねられて、胴体だけが残る。
一体、誰が、いつ、どうやって後始末をしていたのだろうか?
どうも、戦士たちが、戦の終った後に、仲間や敵の死体を片付けている場面なんて、読んだことも、映像で観たこともない。
そんな余裕、無いと思う。
生き残った者の点呼をして、残りは、死んだ。または、逃走した、と判断する。
死体の後始末とかは、身分の低い者が専門でやっていたみたいなんですよね。
この番太と同じ様に。
勿論、槍や刀をそれぞれの陣営へ持って行き、それなりの労賃を生活の糧にしていたんでしょう。
但し、懐の金銭なんかは、役得として自分のものにしていたらしい。
だから、今回の懐にあった百両が、無事だったのが、少し不思議で・・・番太は真面目だったのかなあ(笑)
【本文】
神田から浅草へ、近い道ではありませんが、悠長な時代で、平次が行き着くまで、
行倒れの死骸はまだ取捨てる段取りにもならず、町内の番太が、迷惑そうな顔をしながら、
寄って来る野次馬を追っ払っておりました。
「これは銭形の親分、・・・たかが物貰いの行倒れで、御手に掛けるような代物じゃございませんよ」
「どうせそうだろうが、商売冥利にちょいと見て行こう・・・小判で百両も持っていたっていうじゃないか」
「ヘエ・・・大層溜めやがったもので、番太で駄菓子を売るよりは、よっぽど歩がいいと見えますよ、へッへッへッ、
・・・金は町内の旦那方が預かってありますが、なんなら・・・」
「いやそれには及ばねえ、小判は物貰いの懐から出ても小判に間違いあるまい」
平次はそう言いながら、往来の人が疎らになったところを狙って、ヒョイと菰を捲り上げました。
中には古綿をつくねたような、見る影もない乞食の死骸・・・と思うと大違い、苦悶に歪んで、
妙に怪奇な身体の恰好になっておりますが、年の頃二十五六の、何となく美男という感じのする男の死体です。
【語彙説明】
〇番太(ばんた) ・・・ 江戸時代に、都市に置ける夜警、浮浪者の取り締まりや拘引、牢獄・刑場などの雑用、処刑などに携わっていた人たちのこと。
都市に設けられていた木戸に接した番小屋と呼ばれる粗末な家に住み、多くは非人身分であった。番太郎(ばんたろう)ともいう。
明治7年(1874年)に近代警察組織警視庁が士族を中心に発足したが、同年巡査の欠員500人を補充するため、番太から優秀な者を採用することとなった。6000人中500人程度であったが、武士や与力、同心から巡査になった者は憤慨し、辞職者が相次いだという。
〇古綿(ふるわた)をつくねたような ・・・
「古い綿を無造作に丸めたような~」の意味。野村胡堂独特の表現であろうと思う。
つくねる〔捏ねる〕は、手でこねて丸く作ることで、「米の粉をつくねて団子を作る」などと使う。