『富木殿御書』 (ときどのごしよ) その5
<富木殿御書>
【現代口語訳】
いま日本国の八宗と浄土宗・禅宗等の人々は、上は主上や上皇から始まって、下は万民に至るまで、
みな一人も漏れなく弘法・慈覚・智証の三大師の末孫であり信者となっている。
慈覚大師円仁は、「華厳・法華等の諸大乗経と真言密教とを比較すると、遥かに真言のほうが優れていて異なった教えである」
と『蘇悉地経疏』に述べている。
また智証大師円珍は、『後唐院の記』の中で、「華厳と法華との説はみな戯論である」と言い、
弘法大師空海は、『秘蔵宝鑰』の下巻の中で、「諸経は大日経と比較するとみな戯論である」と言っている。
これら三大師の意見は、法華経はすでに説き今説きさらにこれから説こうとする釈尊の諸説の中では、第一の経典であるが、
しかし大日如来の説かれた大日経と比較すると、戯論でしかない、ということである。
心ある人ならばこの説を信用するであろうか。
今の日本国の人々にとっては、悪象・悪馬・悪牛・悪狗・悪蛇といった恐ろしい生物や、
悪刺・懸岸・険崖・暴水といった危険なものや、悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪使用人等よりも、
はるかにこえて恐ろしいこと百千万億倍なのは、戒律をたもちながらも間違った教法に染まってしまっている高僧のように見える人々のことである。
【読み下し文】
今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆、上主上・上皇より下臣下万民に至るまで、
皆一人ももれなく、弘法・慈覚・智証の三大師の末孫檀越なり。
円仁慈覚大師云く、
(法華経を含めて、華厳等の経は如来の秘密の教えを説き尽くしてないが)「故に彼(真言)と異なるなり」。
円珍智証大師云く、
「華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為す」と。
空海弘法大師云く、
「(法華や華厳等は)後(の真言)に望むれば戯論と為す」等と云云。
此の三大師の意は、
「法華経は已・今・当の諸経の中の第一なり。
然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり」等云云。
此の義を心有らん人信を取るべきや不や。
今日本国の諸人悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺・懸岸・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも、
此等に超過し以て恐怖すべきこと百千万億倍なるは、持戒・邪見の高僧等なり。
【原文】
【語彙説明】
〇蘇悉地経(そしつじきょう) ・・・ 『蘇悉地羯羅経』(そしつじからきょう)の略。
チャイナの唐代にインドから長安に来た善無畏によって訳出された密教三部経典の一つ。
3巻、34品から構成され、真言の持誦、護摩の法を述べている。
なお蘇悉地とはサンスクリット語 susiddhiの音写で、真言を称えることによって達しうる妙果を意味する。
〇『蘇悉地経疏』(そしっじきょうしょ/そしつじきょうじょ) ・・・ 蘇悉地羯羅経略疏(そしっじからきょうりゃくしょ)の略。
円仁(慈覚)の著作。斉衡2年(855年)成立。7巻。善無畏訳の蘇悉地経3巻の注釈書。
円仁は、蘇悉地経を大日経・金剛頂経を統合する経典と位置づけ、大日経・金剛頂経が一体であること(両部不二)を主張する真言宗に対して、蘇悉地経を加えた三経の一致を説くところに天台密教(台密)の特色があるとした。
〇円仁(えんにん) ・・・ 第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。入唐八家の一人。下野国の生まれ。
〇入唐八家(にっとうはっけ) ・・・ 平安初期、唐に渡り密教を学んだ八人の僧侶。最澄・空海・常暁・円行・円仁・慧運・円珍・宗叡の八人。
〇後唐院(こうとういん) ・・・ 智証大師円珍の住房で山王院(さんのういん)のことを後唐院とも称した。
〇住房(じゅうぼう)・・・寺内で僧がふだん住んでいるへや。
〇『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく) ・・・ 上中下3巻からなる空海の57歳の著作。淳和天皇の勅により830年に撰述された。
*----------*
【出典 参照】
『日本思想体系 14 日蓮』 「富木殿御書」 p.211~216 1977年発行 岩波書店
『日蓮聖人全集 第四巻』 「富木殿御書」 p.211 日蓮・著 渡辺宝陽・編集 春秋社