『富木殿御書』 (ときどのごしよ) その4 赤字が出題された箇所
~ 賢人は安きに居て危うきを歎き、寧人は危うきに居て安きを歎く ~
【ジジイの説明】
「安きに居て危うきを歎き、寧人は」の「歎(なげ)き」の部分が、「欲(おも)い」と書く場合もある。
また、「寧人」を「佞人」と書く場合もある。
よって、
「賢人は安きに居て危うきを欲い、佞人は危うきに居て安きを欲う」
となる。
これは、法華経の日蓮聖人の言葉。
法華経は、大乗仏教の初期に成立した代表的な経典で、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれている。
<富木殿御書>
【現代口語訳】
二 インド、中国、日本における謗法
一般世間の様子を見ても、賢人といわれるような人は、平安な時であっても常に危難を忘れずにいて注意を怠らないでいるものである。
だが凡人は危険な状態におかれていても、安楽なことだけを願って、かえって身をほろぼしてしまうものである。
たとえば大火であっえも小水を恐れ、大樹であっえも小鳥に枝を折られることを恐れるものである。
智人は大乗を誹謗することを常に恐れるものである。
したがって正法を謗った場合は、天親菩薩は舌を切ると言い、馬鳴菩薩は頭をはねると言い、吉蔵大師は身体をもって肉の橋として正法を護り、
玄奘三蔵は中国からインドの霊地に仏法を求め、不空三蔵は疑問の点をインドへ渡って解決し、伝教大師は中国に渡って教義を究めた。
これらはみな命がけの行動であり、みな仏教の正義を明らかにして、それを護持するためのものであったのである。
【読み下し文】
夫れ賢人は安きに居て危きを歎き、寧人は危うきに居て安きを歎く。
大火は小水を畏怖し、大樹は小鳥に値て枝を折らる。
智人は恐怖すべし、大乗を謗ずる故に。
天親菩薩は舌を切らんと云ひ、馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願ひ、吉蔵大師は身を肉橋と為し、
玄奘三蔵は此を霊地に占し、不空三蔵は疑いを天竺に決し、伝教大師は此を異域に求む。
皆上に挙ぐる所を経論を守護するが故か。
【原文】
【語彙説明】
〇賢人(けんじん) ・・・ かしこい人であり聖人に次ぐ徳のある人。
〇寧人/佞人(ねいじん) ・・・ 心のひねくれた人。
〇安(やす)き ・・・ やすらかなこと。危険がないこと。困難がないこと。
〇天親菩薩(てんじんぼさつ) ・・・ お釈迦さまがお亡くなりになって約900年後、4世紀頃、北インドの建陀羅国のバラモンの家の次男として生まれた。世親菩薩(せしんぼさつ)ともヴァスバンドゥ(婆薮般豆)とも呼ばれる。
親鸞聖人は、名前から「親」の一字をもらわれるほど、尊敬していた。
天親菩薩は、初め小乗仏教(上座部仏教)で当時最も有力だったグループである説一切有部の僧侶について出家し、小乗仏教の僧侶として500部もの書物を著し、大乗仏教を批判していました。
〇馬鳴菩薩(めみょうぼさつ) ・・・ 元来中国の民間信仰に由来し、貧民の衆生に衣服を与える菩薩として、また「養蚕織物の神」として祭られ、仏教の伝来とともに日本に伝えられた。
〇玄奘三蔵(げんじょうさんぞう) ・・・ 三蔵法師とも呼ばれた中国の僧。インドへ旅して657冊もの経典を持ち帰り、その後の生涯の全てを費やして1338巻の漢訳を行った。
「玄奘」は戒名で、「三蔵」は尊称。三蔵法師とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のことをいい、訳経僧のことを指す。
〇吉蔵大師(きちぞうたいし) ・・・ 中国、陳代・隋(ずい)代・初唐の僧。摂嶺相承といわれる新三論の教義を大成し、三論宗再興の祖と称される。『般若経』に基づいて空(くう)を論じた『中論』『百論』『十二門論』の教学を大成した。
会稽(浙江省紹興県)の嘉祥寺に住したので、嘉祥大師と尊称される。三論宗再興の祖。祖先は安息国(パルティア)の人なので胡(こ)吉蔵の称もある。
〇不空三蔵(ふくうさんぞう) ・・・ 南印度の出身で、密経を印度から唐へ最初に伝えた真言密教六祖。
金剛智三蔵の弟子となり、常に師のそばにあって翻訳の手伝いをしました。
金剛智三蔵が亡くなると、不空はさらなる密教経典を求めて南インド、スリランカへ出かけ、三ヶ年をかけてインドを周遊し、梵本1200余巻を集め、天宝五年唐に戻りました。その翻訳した経典類は172部214巻にのぼり、中国における密教を大成した人。
弘法大師空海様は、貞元20年(804年)に入唐した空海は、恵果阿闍梨のもとを訪れ、金胎両部の大法を授かります。恵果阿闍梨の師が不空三蔵で、6月15日は不空が入滅した日、空海は不空の生まれ変わりと云われている。
〇伝教大師
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【出典 参照】
『日本思想体系 14 日蓮』 「富木殿御書」 p.211~216 1977年発行 岩波書店
『日蓮聖人全集 第四巻』 「富木殿御書」 p.211 日蓮・著 渡辺宝陽・編集 春秋社