『富木殿御書』 (ときどのごしよ)   その2 
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【ジジイの説明】





 『富木殿御書』


【現代口語訳】


 インドの堅慧菩薩(けんねぼさつ)という人は、その著作である『宝性論(ほうしょうろん)』の中で、

 「衆生(しゅじょう)が愚かであって正法(しょうほう)を知らずに信じなかったり、間違った考え方をもち自慢ばかりする者は、

過去において犯した謗法(ほうぼう)(さわり)によるものである。

 また、真実を説いていない不了義(ふりょうぎ)執着(しゅうじゃく)している者ばかりを供養し尊敬して、もっぱら邪法(じゃほう)のみを見て善い指導者から遠ざかり、

 謗法の者と親しく付き合って小乗(しょうじょう)の法ばかりこだわる者は、大乗(だいじょう)を信じようとしない者たちである。

 このゆえに諸仏(しょぶつ)の法を誹謗してしまうことになるのである。

  しかし、大乗を信ずる智者は、怨敵(おんてき)・猛毒蛇・雷火(かみなり)刀杖(とうじょう)その他さまざまな悪獣・虎・狼・獅子などを恐ろしいとは思わない。

 なぜならばこれらのものによって、万一殺されることがあっても、もっとも恐ろしい地獄へ落ち入ることはないからである。

 むしろ恐ろしいのは正法を誹謗することであり、謗法の人々と親しくすることである。

 これらは間違いなく人々を地獄に落としてしまうからである。


  <「」内続く>



【読み下し文】


 堅慧菩薩(けんねぼさつ)の法性論に(いわ)く、

 「()にして正法(しょうぼう)を信ぜず、邪見(じゃけん)及び憍慢(きょうまん)なるは過去の謗法(ほうぼう)(さわり)なり。

 不了義(ふりょうぎ)執着(しゅうじゃく)し、供養供敬(くようくきょう)(じゃく)し、唯邪法(ただじゃほう)を見て善知識(ぜんちしき)に遠離して謗法の者小乗(しょうじょう)の法に楽着(ぎょうじゃく)する。

 (かく)(ごと)()の衆生に親近(しんごん)し、大乗を信ぜざる。

 故に諸仏の法を(ぼう)ず。

 智者(ちしゃ)は、怨家(おんけ)蛇火毒(じゃかどく)因陀羅(いんだら)霹靂(へきれき)刀杖(とうじょう)(もろもろ)の悪獣・()(ろう)獅子等(ししとう)(おそ)るべからず。

 (かれ)但能(ただよ)く命を(だん)じて、人をして畏るべき阿鼻獄(あびごく)に入らしむること(あた)わず。

 畏るべきは深法(じんぽう)(ぼう)じ及び法を謗ずる知識なり。

 決定(けつじょう)して人をして畏るべき阿鼻獄に()らしむ。


【原文】








【語彙説明】

〇衆生(しゅじょう) ・・・ 「命ある者」「心をもつ者」の意。サンスクリット語サットバ(sattva)の訳語。有情とも訳す。仏の救済の対象となるもの。

〇法(ほう) ・・・ 仏教における法(ほう、梵: dharma、巴: dhamma)とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。






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【出典 参照】

 『日本思想体系 14 日蓮』 「富木殿御書」 p.211~216  1977年発行 岩波書店

 『日蓮聖人全集 第四巻』 「富木殿御書」 p.211  日蓮・著 渡辺宝陽・編集  春秋社



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