逝者如斯夫   『論語』  子罕(しかん)


 「逝者如斯夫(逝く者、斯くの如きかな)」は、『論語』 の子罕(しかん)篇に収められている一文である。

 子罕とは、孔子の弟子ではなく、人物でもない。

 篇首の二字を以てあてた、よくある方法である。

 孔子が罕(まれ)にしか語られなかったことを意味する。

 従って、子罕篇は、孔子先生が罕(まれ)にしか語られなかった言葉三十章を編集したものである。

 罕(まれ)にしか話していないので、大切にしていた言葉なのか、嫌っていたのか、解釈が異なる場合がある。


 今回は、三十章の中の四章分を私の好みで抜粋した。



 『論語』  子罕篇


【原文1】


 子罕、言利與命與仁。


【書き下し文1】


 子、(まれ)()(めい)(じん)を言ふ。


【現代口語訳1】


 孔子がめったにしか言わないものが三つあった。

 利益、天命や運命、人の最高道徳たる仁である。

 利を計るとややもすれば義を害する。命の道理は深遠微妙で解り難い。仁は高大至上の徳である。

 三つとも、極めて重大であるから、孔子は慎重を期して、軽率には口にしなかった。



【原文2】


 達巷黨人曰、大哉孔子。博學而無所成名。

 子聞之、謂門弟子曰、吾何執。 執御乎、執射乎。吾執御矣。


【書き下し文2】


 達巷(たつこう)(とう)の人(いは)く、(おほひ)なるかな孔子。

 博(ひろ)(まな)びて名を成す所無(ところな)しと。

 子之(しこれ)を聞いて、門弟子(もんていし)()ひて(いは)く、(わえ)何をか()らん。

 (ぎよ)()んか、(しや)を執らんか。(われ)(ぎよ)を執らんと。


【現代口語訳2】


 達巷という村のある人が、孔子の徳をたたえて

 「偉大なもんだなあ孔子様は。博く学んで万事に通じていられるので、一芸を以て名を付けようとしても、名を付けようがない」と言った。

 孔子をこれを聞いて、お弟子たちに向って言われるに、

 「でも自分も何か一つやって名取りになってみようかな。六藝の中で、礼と楽はむつかしそうだ。書と数はめんどうくさそうだ。

 御をやって名を成してみようか。射をやってみようか。結局、わしは御を専門にやってみることにするかな」と。


【原文3】


 子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜。


【書き下し文3】


 子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯の如きか。晝夜を舍ず。


【現代口語文3】


 孔子が、ある時、川のほとりに居て、流れてやまない川の水を流れて詠嘆していうには、過ぎ去って帰らぬものは、すべての川の水のようであろうか。

 昼となく夜となく、一刻も止まることなく、過ぎ去っていく。

 人間万事、この川の水のように、過ぎ去り、うつろっていくのだろう。



【原文4】


 子曰、吾未見好德如好色者也。


【書き下し文4】


 子曰(そいは)く、吾未(われいま)(とく)(この)むこと色を好むが(ごと)くなる者を見ざるなり。


【現代口語文4】


 孔子言う、わしはまだ徳を好むこと、美人を熱烈に好むようにする者を見たことがない。



【語彙説明】

○罕言 ・・・ たまにしか言わなかった。この「言」をどこまで掛けるかということは、古来異説のあるところで、「罕に利と命と仁とを言う」と読むか、「罕に利を言う。命と与にし、仁と与にす」と読むか、かなり問題がある。今回は前者に従った。

○達巷(たつこう/たっこう) ・・・ 村の名前。今の山東省滋陽県か。

○黨/(とう) ・・・ 五百軒一団の村で、その村人を「党人」と呼んだ。

○博学 ・・・ 礼楽射御書数の六芸を修得していることだろう。

○無所成名 ・・・ 一芸の専門家としての名のつけようがない。

○執 ・・・ 専門家として修めること。

○御・射 ・・・ 六芸のうちの士君子が修めた二芸。御は六芸の中で一番簡単なもの。

○川上 ・・・ 川のほとり。

○如斯夫 ・・・ このようであるかなあ。「夫」は「カ」または「カナ」と読み、感動を表す助詞。

○不舍晝夜/不舍夜 ・・・ 「昼夜ヲヤメズ」と訓じたい。「舎」は「止」または「置」の意。「オカズ」又は「ステズ」とも読むが「ヤメズ」と読む方が自然である。

○色 ・・・ 美人のこと。


【出典】 『論語』 子罕篇 第九

【参照】『新釈漢文大系 第1巻』「論語」 吉田賢抗・著 明治書院  平成元年7月10日 改訂27版発行

【出題】 漢検 準1級


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