瑤姫は本当に()たのか?


 【還暦ジジイの説明】


 楚の襄王(じょうおう)が、先王(懐王)から仕えていた宮廷詩賦の宋玉(そうぎょく)を連れて雲夢(うんぼう)(うてな)に遊んだ。

 襄王が(あや)しんで(つぶや)いた。

 「父は、ここへ何度も来ていたらしいが、何が面白かったのかのう。

(たし)かにここは美しい処だが、父は、風流なんてものには縁遠い方だったからのう」

そして、宋玉を一瞥した。


 襄王は以前に来たときも、同じ疑問を宋玉に投げ掛けていた。

 宋玉はこう答えた。

 「先王が楼観に遊ばれました時、お疲れになって昼寝をされていると、夢の中に婦人が現れ、

『私は(よう)と申します。巫山に住む娘ですが、王様がこちらに遊ばれると伺い、寝所にお仕えしたいと思って参上致しました』

と申しました。 」

「ほお~!それで?」と襄王。

「先王は素直にこの娘をご寵愛(ちょうあい)なされました。娘が、()(ぎわ)に申しますには、

『夜が(あけ)れば朝雲となり、日が沈めば雨となって、朝な夕なに、寝所に参りましょう』と。」


 襄王は、「そうだったか~、やはり、な」と、莞爾(かんじ)とした。

 宋玉は続けた。

 「今日、日が沈めば雨となり、明日の朝は、朝雲が巫山に掛かりましょう」

 襄王は、「うむ。では、瑤姫が我寝所にも現れるのだな?」

 「はい。左様でございます。」 と、宋玉。

 「しかし、父が若かりし頃の娘なら、今頃、老婆ではないか?」

 「いえ、神女ですから、歳をとりませぬ」



 【種明かし】


 はい、もうお解りですね(笑)

 宋玉は、女好きの王の為に、天下一の美女をこっそり探して来て、(ひそ)ませていたんですね。

 そして、神秘的に登場させたんです。


 「へっへっへっ、王様、高楼に女を用意してますよ。へっへっへっ」

 なんて紹介したんじゃあ下世話ですよね~、下品ですよね~

 抑々(そもそも)、恩着せがましい。


 偶然出遭った美女は、天が召されたもの ・・・ 自分の人徳で得たものだ、

 と、思えれば、これほど気持ち良いものはない。

 上手いなあ~



 【故事】


 「巫山神女(ふざんしんじょ)」と呼ばれた瑤姫(ようき)は、天帝(てんてい)〔古代チャイナ神話の中の最高神〕の愛妾(あいしょう)だったが、未婚のまま亡くなり巫山の南に(ほうむ)られ、女神(めがみ)となった。

 絶世の美女であっただけでなく、奥床(おくゆか)しく、清楚(せいそ)だった。


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 まあ、そりゃそうでしょうねえ。

 べらんめえ口調の女神なんて、幻滅(げんめつ)ですからねえ(笑)


 後に、楚の懐王が夢の中で、瑤姫と情を交した。

 瑤姫が、「自分は明は雲となり夕べに雨となる」と説明したことから、男女の交りの隠語として「雲雨(うんう)」が生まれた。


 高唐賦の中の一節で、直訳すると「朝には雲となり、夕べには雨となる」の意で、「朝となく夕となく、情を交わす」が真意。

 要するに、朝から晩まで、お相手致します、とのこと。

 登場する娘は、「瑤姫(ようき)」と呼ばれる巫山の神女(しんじょ)である。

 勿論、美女!

 いや~、羨ましい!(笑)


 とは言え、元は天帝の愛妾であり、次は、父・懐王の寝所の相手。そして、三番目が自分(襄王)である。

 ちょっと、ねえ~

 何て愚痴(ぐち)(こぼ)しちゃあ、お(しま)いです。

 あはははは


 「朝雲暮雨(ちょううんぼう)」「巫山之夢(ふざんのゆめ)」「雲雨巫山(うんうふざん)」とも言う。



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           朝雲廟(ちょううんびょう)


 【語彙説明】


 【プロフィール】

 宋玉(そうぎょく) ・・・ 屈原(くつげん)詩賦(しふ)の弟子。

 襄王(じょうおう) ・・・ 楚の王。在位期間は前298年~263年。



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