洞庭湖に遊ぶ (どうていこ に  あそぶ)  作:李白


【還暦ジジイの説明】


李白が流刑された後、赦免(しゃめん)されて岳陽に帰った時、一族の李曄(りか)が嶺南に流される途中で岳陽にいた。

賈至(かし)も流刑で岳陽に滞在中であった。その三人で洞庭湖に遊んだ時の詩。

五首連作の第一首である。

前半は西に南に頭を巡らして、実際には見えないが「楚江分る」「水尽き」と言って、

想像も含めて渺々(びょうびょう)たる洞庭湖の大きさを実感させる。

洞庭湖は、雨季と乾季では面積が変わる。

雨季は最長南北130㎞、幅100㎞ともなる。

後半は「日落長沙」「湘君」など遠い昔を望見する様な懐古詩で終わっている。

つまり李白たちは湖上から雄大な光景を眺めながら、三千年前、殉死した湘君を(しの)んでいる。

すなわち、今居る三人も左遷されたり流罪(るざい)の身で、不幸な者たちだ。

湘君と重ねたのだろう。

後半二句は空想の世界。

洞庭湖からいくらなんでも100㎞離れた長沙の町が見えるわけがない。

長沙から遥か離れた李白達だが、湘君を身近に感じたのだろう。

西暦759年、李白五十九歳頃の作。(日本では平安時代)


【原文】


 游洞庭  李白

 洞庭西望楚江分  水盡南天不見雲

 日落長沙秋色遠  不知何處弔湘君


【読み下し文】


 洞庭湖(どうていこ)(あそ)ぶ   作・李白(りはく)


 洞庭西に(のぞ)めば 楚江(そこう)()かる。

 水尽(みずつき)南天(なんてん) (くも)()ず。

 () ()ちて 長沙(ちょうさ) 秋色遠(しゅうしょくとお)し。

 ()らず (いず)れの(ところ)にか 湘君(しょうくん)(とむら)わん。


【現代口語訳】


 洞庭湖から西方を望めば、楚江が分流して湖に入っている。

 湖水が尽きる(水平線の)南の空には一点の雲もなく広々と晴れわたっている。

 だが、日暮れともなれば、長沙の方は、秋に色づいた陸地が何処とも見分けがつかないほど遠く見えている。

 此の地には、悲劇の女神である湘君の霊が祭ってあるが、この様に秋色濃い湖辺の景色の中では、

 湘君を(どの方角に)弔ってよいか見当もつかない。


【語彙解説】

〇洞庭湖(どうていこ)・・・揚子江中流にあるチャイナ第一の湖。広さと景観は雄大を極める。『三国志』の「赤壁の戦」でも有名。

〇楚江(そこう)・・・長江をこの地方では楚江と呼ぶ。洞庭湖に注ぐ。

〇長沙(ちょうさ)・・・洞庭湖の南100㎞にある。今の湖南省の都。楚江の支流である湘江の東岸にある。

〇湘君(しょうくん)・・・伝説時代(紀元前3000年ごろ)の帝王(ぎょう)の二人の娘。

  姉を娥皇(がこう)、妹を女英(じょえい)といいともに舜帝(しゅんてい)()した。
  舜が国内巡視中蒼梧(そうご)で没すると二妃(にき)とも、悲しみの余り湘水に身を投げた。
  以後二人を「湘君」呼び湖水の神として(あが)めている。洞庭湖北西端の君山に湘君の(ほこら)がある。


【人物プロフィール】

〇李白(りはく、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))

 チャイナの盛唐の時代の詩人である。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。
 唐代のみならずチャイナ詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。
 奔放で変幻自在な詩風から、後世に『詩仙』と称される。

 李白と杜甫は盛唐の詩を最高の水準に到達せしめた功労者であり、お互い良き友人でもあったが、
 その詩的世界はかなり対面的な面がある。
 李白が浪漫主義の代表者であるとすれば、杜甫は現実主義の代表者であった。
 これには二人の家庭環境のほか、李白が杜甫よりも十年以上早く生まれていることも影響している。
 同じく秋を歌っても李白は清秋、杜甫は悲秋と表現し、酒を詠じても李白は緑酒、杜甫は濁酒の語彙を選ぶことが多い。

 豪放な性格から追放された。「安禄山の乱」後で反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったが、のち赦され、
 長江を下る旅の途上で亡くなった。その時の詩が本稿。酒と月を愛した。享年62。


〇李曄(りか)??

〇賈至(かし、718年 - 772年)は、チャイナ・唐の詩人。字は幼幾(ようき)、一説には幼隣(ようりん)。洛陽の出身。

 賈曾の子として生まれた。開元23年(735年)に進士(しんし:科挙試験の一科目)に及第、
 さらに天宝10載(751年)明経(めいけい:科挙試験の一科目)にも及第、起居舎人・知制誥に至った。
 「安禄山の乱」のときには、玄宗に従って蜀へ避難し、帝位を皇太子に譲る勅語を起草した。
 その後、一時罪によって岳州に流され、そこで李白に会い、酒宴に日を送った。
 その後、都に召還され、大暦5年(770年)には京兆尹兼御史大夫となり、右散騎常侍に至った。


 次の詩   前の詩      漢詩の部屋  TOP-s