『鹽鐵論(塩鉄論)』 「巻九 論鄒 第五十三」 (えんてつろん) 著:垣寛 より一部抜粋
~ 未だ天下の義を知らざる也 ~
【還暦ジジイの解説】
「未だ天下の義を知らざる也」とは、(あなたたちは)小事に目を奪われ、天下の大義にまで思慮が及んでいない。
それは、儒学者・墨学者ですら、考えが浅く及ばないのだから、(彼らにさえ劣るあなた達が)天下を語るには百年早い。」
と、まあ、60人の学者を相手に、高所から、威圧し、見下した言葉なのである。
しかし、聞いてみると、なかなかの説得力があるから、面白い。
昔のチャイナの朝議は、今日で云うところのディベート(討論)で、白熱していた。国王に対しても、諫言を怖れなかった。
然ながら、肉弾相打つ格闘技である。
今日のチャイナでも、こんなディベートが全人代で行われていたら、気違いじみた習近平の横暴は止められたでしょうにねえ(笑)。
『塩鉄論』(鹽鐵論)とは、チャイナ、前漢の始元6年(紀元前81年)に当時の朝廷で開かれた塩や鉄の専売制などを巡る討論会(塩鉄会議)の記録を、後日に桓寛が60篇にまとめた著作である。
今回取り上げた項は、その中の鄒子が述べた論の項。よって、項題が「論鄒」となっている。
しかし、今回の一文は、鄒子ではなく、御史大夫こと桑弘羊が喋ったもの。
前漢で武帝による匈奴との対外戦争の影響で急速に財政が悪化したため、桑弘羊らの提案によって、塩・鉄・酒などの専売や平準法・均輸法などによって、財政を立て直すことに成功した。その功績で桑弘羊は御史大夫に昇進した。
なお、ここで云う「中国」は、今日の「中華人民共和国」の略称の「中国」ではなく、「中原、洛陽周辺」の意味である。
【還暦ジジイの意訳】
御史大夫の発言。
鄒子(鄒衍)は、近世の儒者・墨者どもを憎みました。
なぜなら、彼らは、天地の大きさも、広々とした道も知らず、また、真っすぐな道しか経験がないのに、カーブの沢山ある道を案内をしようとしているようなものだからだ。
さらに、一隅だけにしがみついて、あらゆる方角を知ろうとしている。
それは、水平器も持たず高低を知ろうとし、コンパスや定規もないのに四角・円を測ろうとしているようなものなのだ、と。
そこで大夫は、大聖人の運命から、この世の変遷について、王侯大臣に語りました。
まず、中国の名山・峽谷などを列挙しただけでなく、海外のことまで言及しました。
その説によると、儒者などの言う中国とは、高々天下の八十分の一を占めるに過ぎない。
その中国は、九州に分けられ、中国以外にも一州があり、大海がその外をとりまいている。
これがいわゆる八極と呼び、天地はここで終る。
『書経』で、大聖人もまた山川・高低・原野・湿地などを記しているが、本当の広さを知らなかった。
だから秦の始皇帝は、高々九州を取って、天下を統一したと満足した。
〔ましてや、儒者・墨者や大聖人でない〕あなたがたは、畦や畝を気にかけ、村里の固めぐらいしか出来ない。
よって、〔あなたがたが〕天下を理解しようなどとは、遥か及ばない。
【原文】 註:歴史的かな遣い、正漢字で書かれています。
大夫曰:「鄒子疾晚世之儒墨、不知天地之弘。昭曠之道。將一曲而欲道九折。守一隅而欲知萬方。
猶無準平而欲知高下。無規矩而欲知方圓也。
於是推大聖終始之運。以喻王公列士。中國名山通谷以至海外。
所謂中國者。天下八十分之一。名曰赤縣神州。而分爲九。
川絕陵陸不通。乃爲一州。有大瀛海圜其外。
此所謂八極而天地際焉。
禹貢亦著山川高下原隰。而不知大道之逕。
故秦欲達九州而方瀛海。牧胡而朝萬國。
諸生守畦畝之慮。閭巷之固。未知天下之義也。」
【読み下し文】
大夫曰く、「鄒子は晚世の儒墨、天地の弘、昭曠の道を知らず、一曲を將つて九折を道かんと欲し、
一隅を守つて萬方を知らんと欲し、準平無くして高下を知らんと欲し、規矩無くして方圓を知らんと欲するがごときを疾む。
是こに於いて大聖終始の運を推して、以つて王公列士を喩す。中國の名山通谷は、以つて海外に至る。
所謂る中國とは、天下八十分の一にして、名づけて赤縣神州曰ひ、分ちて九と爲す。
川絕ちて陵陸通ぜずば、乃ち一州と爲し、大瀛海有つて其の外を圜る。
此れ所謂る八極にして天下焉に際す。
〔『書経』〕『禹貢』も亦山川高下原隰を著して、而も大道の逕を知らず。
故に秦は九州に達して瀛海を方とし、胡を牧して萬國を朝せしめんと欲す。
諸生は畦畝の慮、閭巷の固を守つて、未だ天下の義を知らざる也。」
【現代口語訳】
御史大夫「鄒子(鄒衍)は、近世の儒者・墨者どもが天地の広さ、明るくて広々とした道もわからないで、一個だけの曲がりくねりしか知らないのに沢山の曲がりくねり道案内をしようとし、一隅だけにしがみついてあらゆる方角を知ろうとしているのは、ちょうど水盛りもないのに高低を知ろうと思い、ぶん回しや定規もないのに四角・円を知ろうと思っているようなものだとして憎みました。
そこで大聖人やこの世の始めから終わりまでの変化を考えて王侯大臣に教えました。
中国の名山・峽谷などを列挙し、さらに海外のことまで研究を及ぼしました。
〔その説によると、儒者などの言う〕中国とは、天下の八分の一を占めるに過ぎない、その中国を名付けて赤県神州と言い、それがまた九州に分けられる、〔中国以外にも〕陸道が断たれて通じない区域は一州をなし、大海がその外をとりまいている、これがいわゆる八極で、天地はここで極まる、ということです。
〔『書経』〕禹貢もまた山川・高低・原野・湿地などを記しているが、大道のはるかなることを知りません。
だから秦は九州を取って大海を渡り、胡をおさめて万国を来朝させようと思いました。
あなたがたは畦や畝くらいを心がけ、村里の固めくらいに気を取られ、まだ天下の道理というものを知らないのです。」
【語彙説明】
〇昭曠(しょうこう) ・・・ 明るくひろやか。
〇九折(きゅうせつ) ・・・ 坂道などで、曲折が多いこと。
〇萬方/万方(ばんぽう) ・・・ あらゆる方面。すべての方面。
〇準平(じゅんぺい) ・・・ 均等。
〇規矩(きく) ・・・ コンパスとさしがね。
〇方圓/方円(ほうえん) ・・・ 四角と丸。方形と円形。
〇中国/中國(ちゅうごく) ・・・ 今日の「中華人民共和国」の略称の「中国」ではなく、「中原、洛陽周辺」の意味である。日本に喩えれば、所謂、本州を指したようなもだろう。
〇赤縣神州(せきけんしんしゅう) ・・・ 儒者の言う中国とは、天下の八十一分の一を占めるに過ぎない。中国を名づけて赤県神州という。そして、外にも赤県神州のようなものが都合九つあって、これがいわゆる九州である。
〇八極(はっきょく) ・・・ 四方と四隅。すなわち、東・西・南・北・乾(西北)・坤(南西)・艮(北東)・巽(東南)をいう。八方の遠い土地。
〇禹貢(うこう) ・・・ 『尚書』(『書経』とも呼ぶ)の一篇で、地理の書。
〇原隰(げんしゅう) ・・・ 原野と湿地。地の高平のところを原(げん)といい、低湿のところを隰(しゅう)という。
〇瀛海(えいかい) ・・・ 大海のこと。
〇胡(こ) ・・・ 古代チャイナの北方・西方民族に対する蔑称 。「胡瓜」「胡弓」「胡姫」のように、これらの異民族由来のものである事を示す。
〇牧(ぼく)する ・・・ 人民をやしないおさめる。
〇水盛(みずも)り ・・・ 建物の基準となる水平を定めること。水面の高さが一定となることを利用して求めることからそう呼ばれる。
〇ぶん回(まわ)し ・・・ コンパスのこと。製図用具の一つで、主に円を描くためのもの。適当な角度で開閉できる2本の脚からなる。
【プロフィール】
〇桓寛(かんかん)
チャイナ、前漢の政治家・学者。汝南(河南省)の人。字あざなは次公。
昭帝のときに宮廷で行われた塩鉄専売に関する議論を「塩鉄論」10巻にまとめた。生没年未詳。
〇桑弘羊(そう こうよう) 紀元前150年代~80年。
前漢の政治家・財政家。武帝期に専売制・平準法・均輸法の実施など財政面で大きな力を振るった。
〇鄒子(すうし)
鄒衍(すうえん)のこと。「子」は「先生」の意味で、「鄒子」は「鄒先生」の意味。
【参考資料】
原文と読み下し文: 『塩鉄論』 訳註者:曽我部静雄 岩波文庫 1934年3月5日第1刷 2018年2月23日第5刷
現代口語訳: 『塩鉄論 ~漢代の経済論争~』 訳註者:佐藤武敏 平凡社 昭和45年7月15日第1刷 昭和49年9月20日第2刷