『鹽鐵論(塩鉄論)』 「巻五 利議 第二十七」篇 (えんてつろん) 著:垣寛 より一部抜粋
~ 言うは易く、行うは難し ~ ~以毛相馬 ~
【還暦ジジイの解説】
『塩鉄論』(鹽鐵論)は、チャイナ、前漢の始元6年(紀元前81年)に当時の朝廷で開かれた塩や鉄の専売制などを巡る討論会(塩鉄会議)の記録を、後日に桓寛が60篇に編纂した著作である。
今回取り上げた項は、利議 第二十七篇で、御史大夫こと桑弘羊が語ったもの。
前漢で武帝による匈奴との対外戦争の影響で急速に財政が悪化したため、桑弘羊らの提案によって、塩・鉄・酒などの専売や平準法・均輸法などによって、財政を立て直すことに成功した。その功績で桑弘羊は御史大夫に昇進した。
【原文】 註:歴史的かな遣い、正漢字で書かれています。
大夫曰:「色厲而內荏、亂眞者也。文表而柔裏、亂實者也。文學裒衣博帶、竊周公之服。鞠躬踧踖、竊仲尼之容。
議論稱誦、竊商賜之辭。
刺譏言治、竊管晏之才。心卑卿相、志小萬乘。
及授之政、昏亂不治。故以言舉人、若以毛相馬。此其所以多不稱舉。
詔策曰。『朕嘉宇內之士、故詳延四方豪俊文學博習之士。趨遷官祿。』言者不必有德、何者。言之易而行之難。
有舍其車而識其牛、貴其不言而多成事也。
吳鐸以其舌自破、主父偃以其舌自殺。鶡鴠夜鳴、無益於明。主父鳴鴟、無益於死。非有司欲成利、文學桎梏於舊術、牽於間言者也。」
【読み下し文】
大夫曰く:色厲くして内荏かなるは、眞を亂す者也。表を文りて裏を柔かにするには、實を亂す也。
文學の裒衣博帶は、周公の服を竊み。鞠躬踧踖は、仲尼の容を竊み。
議論稱誦は、商賜の辭を竊む。
刺譏して治を言ふは、管晏の才に過ぎ、心には卿相を卑しとし、志は萬乘を小なりとす。
之れに政を授くるに及んでは、昏亂して治まらず。故に言を以つて人を舉ぐるは、毛を以つて馬を相するが若し。
此れ其の多く舉に稱はざる所以なり。
詔策に曰く、『朕は宇內の士を嘉す。故に詳に四方の豪俊文學博習の士を延き、官祿を趨遷せしむと。』
言者は必ずしも德有るにあらず。何んとなれば、之れを言ふは易くして、之れを行ふは難し。
其の車を舍てて其の牛を識り、其の不言にして多く事を成すを貴ぶこと有り。
吳鐸は其の舌を以つて自ら破れ、主父偃は其の舌を以つて自殺す。鶡鴠夜鳴けども、明に益無し。
主父鳴鴟して、死に益無し。有司利を成さんと欲するに非ず。文學は舊術に桎梏して、間言に牽るる者也。」
【現代口語訳】
【語彙説明】
〇
〇裒衣博帶/褒衣博帯(ほういはくたい) ・・・ 大きな裾の服と広い帯のことで儒者の服のこと。また、儒者や学者、文人のこと。「褒衣」は裾の大きい服のこと。
〇鞠躬踧踖(きっきゅうしゅくせき) ・・・ 「鞠躬如」は、身をかがめて、つつしみかしこまるさま。「踧踖如」は、慎み深く、うやうやしいさま。
〇仲尼(ちゅうじ) ・・・ 孔子のこと。名を丘、字を仲尼。春秋時代の思想家、学者。魯の陬(すう)(山東省)生れ。
〇議論稱誦(ぎろんしょうしょう) ・・・ 「稱誦」は「賛頌/讃頌」と同じで、言葉をつくして、ほめたたえること。よって
〇刺譏(しき)して治(ち)を言ふ ・・・ 「刺譏」は、他人をそしること。非難すること。「治を言ふ」は、政治を語る。よって、(為政者を非難して)政治を語る。すなわち、建設的なことを言わず、為政者を非難するだけでは、実際に為政者となっても、何もできないだろう、と。
〇管晏(かんあん) ・・・ 管仲と晏子の二人のこと。共に春秋時代の斉の政治家。『史記』「管晏列伝」に載る。管仲は「管鮑之交」で有名。
〇昏亂/昏乱(こんらん) ・・・ 世の中が乱れること。
〇以毛相馬(いもうそうば) ・・・ 馬の毛の色ですぐれた馬を見分けようとすること。転じて、外見で人を判断することはできない。
【プロフィール】
〇桓寛(かんかん)
チャイナ、前漢の政治家・学者。汝南(河南省)の人。字あざなは次公。
昭帝のときに宮廷で行われた塩鉄専売に関する議論を「塩鉄論」10巻にまとめた。生没年未詳。
〇桑弘羊(そう こうよう) 紀元前150年代~80年。
前漢の政治家・財政家。武帝期に専売制・平準法・均輸法の実施など財政面で大きな力を振るった。
【参考資料】
原文と読み下し文:『塩鉄論』 訳註者:曽我部静雄 岩波文庫 1934年3月5日第1刷 2018年2月23日第5刷
現代口語訳:『塩鉄論 ~漢代の経済論争~』 訳註者:佐藤武敏 平凡社 昭和45年7月15日第1刷 昭和49年9月20日第2刷