焚書坑儒


 古代チャイナ、秦の始皇帝は、儒書を(ことごと)く焼き、残酷にも儒家(じゅか)460人を生き埋めにして葬った。

 世に有名な「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」です。

 孔子の教えを儒教(じゅきょう)。その教えを信奉する者を儒家(じゅか)という。

 「焚書坑儒」は、苛烈残忍な思想言論弾圧ですね。

 えっ!?

 現代チャイナと同じだって?

 ホントだ!(笑)


 さて、始皇帝は、なぜそれほど、孔子の教えを憎んだのか?


 理由は、儒教思想が、始皇帝の目指す法治国家と相反するものだったからです。

 秦の法律では、人殺しは死刑とか、傷害罪はこうだとか、犯罪者を隠匿すると同罪だとか、定めていた訳です。

 ところが、儒教は、「父親が犯罪者なら匿って逃せ」と教えているんですね。(笑)

 要するに、孝徳が一番優先される。

 この教えは、権力者から見れば許せない。

 いや、いや、現代人の私でさえ、始皇帝の立場だったら、孔子を許さない。

 だから、「九族皆殺し」なんて残酷な刑罰が生まれたのだから。(怒)

 逆に言えば、儒家(じゅか)は、この残忍な刑罰やその他処罰を ―― 族誅(ぞくちゅう) ―― を莞爾(かんじ)として受け入れたのだろう。


 あっ!

 今のチャイナも同じだ!

 香港で民主化を求め「雨傘運動」をやっていた周庭(しゅう てい)さんは、チャイナ政府に逮捕され拷問を受けた。

 2年間の沈黙から、漸くパスポート発行を許され、先日、カナダに亡命して、口を開いた。(2023年12月現在)

 「もう二度と香港には戻らない!

 ねえ!現代日本に生まれて良かったでしょう!(笑)


【補足】

孔子は、親を敬い、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきであると説き、社会的犯罪については

「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」と述べた。

 <『論語』子路篇 第十三の十八>  〔原文〕父爲子隠。子爲父隠。


これは、「忠義」よりも「孝徳」が貴いの考え方。

「道に外れたことを行う君主を三度(いさ)めても聞き入れられなかったら、君主の(もと)から去るべきである。」

対して、(なるほど、その通り!)

「道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、泣き寝入りして従わなければならない。」

と云う考え方である。(ええ~っ!笑)


「焚書坑儒」

 古代チャイナ、秦の始皇帝の時代。

 焚書(ふんしょ)・・・

  前213年、丞相(じょうしょう)李斯(りし)が、「農学・医学・占星学・占術・秦の歴史を除く全ての書物を、悉く焼き捨て、
  従わぬ者は顔面に刺青を入れ、労役に出す。政権への不満を論じる者は族誅する。」
  という進言を行い、認められ、実行に移された。
  特に『詩経』と『書経』の所有は、厳しく罰せられた。

 坑儒(こうじゅ)・・・

  翌年(前214年)、始皇帝を非難する儒者460人を咸陽で生埋めにした。

  始皇帝は『韓非子』を信奉しており、『韓非子』「姦劫弑臣」に、
  「愚かな学者らは古い本を持ち出してはわめき合うだけで、目前の政治の邪魔をする」
  とある。これに従ったものであろう。

  司馬遷の『史記』に記述がみえ、秦の苛政を象徴するものとして漢以後の儒者から厳しい非難を受けた。



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