第六話
前回、
にも拘らず、なぜ、昭王は、
范雎は貧しい家の
友人の
当時、秦の
穣侯は絶大な権力を誇り、名将の白起を使って周囲の国々を討って領土を獲得していた。
しかし、その領土は穣侯や
要するに、昭王は名ばかりで、穣侯・魏冄が実権を握る
一年後、范雎は、昭王に意見を聞いてくれるように訴えた。
范雎は、まず外事について「遠交近攻策」を説いた。
この進言を受け入れ、成果を上げた昭王は、范雎を厚く信任した。
勢い范雎は、穣侯たちを排除しなければ王権が危ういことを説いた。
そして、朝議の場で、穣侯たちが昭王を軽んじ私腹を肥やしていることを面罵した。
我が意を得たり!
昭王は白起を取り込むと、太后を廃し、穣侯一族を追放した。
こうして王権を確立した。
昭王にとって、范雎は、間違いなく
しかし、白起も軍事を司る右腕であった。
それなのに、なぜ、白起の意見を尊重しなかったのか?
【解説】
昭王(しょうおう)・・・チャイナ戦国時代の秦の第28代君主。第3代の王。在位前307~前251年。
姓は