第五話
チャイナ、春秋戦国時代。
秦国の
秦国が、七大国の中で最強となる
そして、名将・
白起を語るに欠かせないのが、
自軍にすら配給する食料に事欠いていたとは言え、残酷な話である。
この暴虐が後々の戦に大きな影響を与えた。
天下統一を目指す昭王は、白起に大国・趙を攻めさせた。
秦軍は、趙軍を破りに破って、首都・
ところが、
白起は、千載一遇の機会を失うと反論したものの、不承不承、命に従った。
しかし、納得のいかない白起は、以後、出陣の命が下っても、従わなかった。
仕方なく范雎は、恩人の
片や趙軍は、
捕虜四十万人を生き埋めにされた遺恨が、趙軍を強くした。
劣勢になっても必死で抵抗し、投降しなくなったのだ。
更に、白起の居ない秦軍は
案の定、
秦では、敵に投降すると、兵の親族一同
将軍に推挙した范雎は面目を失った。
その上、范雎を昭王に紹介した
これらの失態で、范雎は、昭王に自らの罰を請うた。
しかし、昭王は、連座の罪を不問に付したのだ。
范雎は白起に頭を下げて出陣を請うたが、白起は
邯鄲攻め中止の背景を白起は知っていたのだ。
范雎は
范雎は昭王に、白起が
昭王も、自ら出向いて出陣を要請したにも拘わらず従わなかったので、腹に据えかねていたのだろう。
遂に自刃の命を下した。
このときの朝議で、丞相・范雎は
昭王は
と、毎度毎度の猿芝居。
お決まりの儀式を行う。あははは
王剣を受け取った白起は、
「賢者を得るのは
と言い残して、
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【解説】
昭王(しょうおう)・・・チャイナ戦国時代の秦の第28代君主。第3代の王。在位前307~前251年。
「昭王」と呼ばれる王は時期は異なるものの他国にも居り、区別する為に、
姓は
鄭安平(てい あんぺい)・・・戦国時代、七大国の一つ・魏の出身で後に秦、更には趙に仕えて武陽君の名を賜った。