その1
◇はじめに
漢詩は、漢字だけで構成される詩です。
詩は「うた」とも読みますが、当時は音楽的「歌」だった、と理解した方が良い。
実際に楽曲を伴う詩もあれば、アカペラで歌う詩もあった。
主に宮廷で作られ歌われたのだが、後々庶民による民謡もできた。
現代の日本の歌謡曲であれ、ポップスであれ、それを作詞・作曲するには、特殊な才能や学習・訓練が必要ですね。
古代チャイナでは文盲の人が多数でしたから、今以上に知識階級の人でないと、作詩できなかった。
ですから、詩を作り、見事な筆跡で漢字を書ければ、たとえ無職でも、国立大学卒業の秀才に見られ、尊敬された。
科挙の試験に合格し、官僚ともなれば、まあ、今の日本で言えば、東大卒の高級官僚でしょうか。
◇漢詩の歴史
「漢詩」は狹義では漢代(紀元前202年~220年)に作られた詩を指しますが、日本では「和歌」に対してチャイナの詩の全てを「漢詩」と呼んでいます。
漢詩の発祥は、紀元前10世紀から前7世紀にかけて、周の初めから春秋時代までの、黄河流域の諸国や王宮で歌われた詞歌305編を収めたチャイナ最古の詩集『
この詩集に収める詩は
その後200年以上の時を経て、戦国時代に
そして、その屈原を中心とした詩集『
漢の時代に入り、その系統を汲む「
一方で楚辞は後に詩の形式に大きな影響を与えました。
前漢時代、武帝(第七代目)により、宮中に歌謡曲や民謡を収集・研究する「音楽署
収集されたものは、本来は楽曲を伴うものでした。
その楽府に集められた歌謡、あるいはそれ以後の歌謡が「
その当初、楽府は句の長短が不揃いのものが多く、これを
その一方で、一句が五音に揃えられた
魏・呉・蜀の三国時代には、魏の武帝・曹操、文帝・曹丕、弟の曹植親子の三曹が国家芸術としての五言詩を確立しました。
南北朝時代に入ると、田園詩人と呼ばれる
唐の時代に入ると詩は宮廷を離れて広く民間に伝わりました。
唐の時代の詩を
その詩の流れは、初唐、盛唐、中唐、晩唐の四つの時期に分けて考えられています。
また、この時代に詩の形式はほぼ固まり、それまでの詩を「
科挙の試験に作詞が課せられるようになって、詩は隆盛し、黄金時代を迎えました。
特に盛唐の
唐が滅んだ後も漢詩を作ることは
北宋では、
その後、漢詩は、日本を始め東アジアを中心に多くの人々に鑑賞され、作詩されました。
【解説】
〇詩の形式による分類
詩には、句数と字数が決っている定形の詩と、そうではない詩があります。
定型詩は、
近体詩は、「
近体詩以外の詩は
〇「
絶句や律詩の近体詩に、平字と仄字が規則的に配列することを言います。
「
また、韻を踏むことを「
〇詩の数え方。
一首、二首と「
長編の場合は一篇、二篇と「
〇
詩は、行ごとに示すと分かり易いので、行ごとに改行します。
その行のことを「
一句が五字でできているものを