その2
漢文は、圧縮した表現を尊び、短文を好む。
ところが、逆に、無駄な字句が挿入されていたり、多くの異音同義語を使っている場合も有るのだ。
それは何故か。
その第一は、音曲と同じで、語調を揃えたり、音程を調えたりする為に、行うのだ。
例えば、「すなわち」という意味の漢字は、「即・則・乃・輒」など多数ある。
しかし、音が違う。
前後の漢字の音との調和を考えて選択する場合があるのだ。
例えば、日本の歌の詞で、
「子供みたいに、笑うあなたが~♪」
と、もう一つ、
「子供のように、笑うあなたが~♪」
の2つは、「みたいに」と「ように」は同じ意味だが、感じ方が違う。
また、声に出してみると、違和感のない言葉を選ぶ。
この様な理由で、語句を替える。
第二に、語数や音韻を合せるという形式がある爲だ。
従って、漢文は、短文を目指しながら、無駄な字句が挿入されている場合もあるのだ。
たとえば、漢詩。
漢詩には、五言絶句や七言絶句などと呼ばれる形式がある。
語数を合せたり、韻を合せたりする爲、に無駄な字を挿入することがある。
逆に、必要なのに削除することもあるわけだ。
よって、この「無駄な字句を挿入したり、異音同義語の使い方」次第で、名作と凡作の差が生ずる。
名人とか詩聖とか呼ばれる人は、これが上手い。
内容もさることながら、音読したときに、聴く人を魅了するかどうか。
これは、現代の楽曲でも同じですね。
<「その3」へ続く>