ちょっと一服  その73 我思う、故に我在り。その3              2022.07.11



 恥を(さら)すようですが、私の叔父さんは、数億円の借金で親戚中に迷惑を掛け、妻や子供に見放されました。

 その叔父が認知症に成り、介護施設に入った。

 兄である私の父が後見人となったが、その父も認知症で入院した頃。

 私は叔父さんの遺留品を片付けることとなった。

 もう、何もかも、要りません。

 服も趣味の本なども、何もかも。

 ごみ袋に入れた。

 しかし、どうしても、捨てられないものがありました。

 写真アルバムです。

 そうかあ~

 人間を、(たけのこ)の皮のように、()いて、剝いて、すれば、最後に残るのは、肉体ではなく、

 想い出なんじゃないか。

 一人の人間が死ぬとき、アルバムに写っている人達から、一言かけて貰えれば、

 それで、最高の人生だったんじゃあないか、

 と思う。


 親戚中から疎まれ、嫌われる人間であっても、

 どんなに素晴しい人でも、死んでしまえば、只の亡骸(なきがら)です。


 人の記憶から消えた時に、物事は終ります。

 いくら生きた肉体が残っていようが、意味はありません。


 と、言うことは、逆に言えば、

 記憶に残っていれば

 その人は、永遠に生きているのと同じではないか。

 そして、記憶のその人に向って「有難う」と言ってくれる人が居れば、最高じゃあないかなあ。


 病気療養中の友人が居ます。

 彼は、もう自分は治らない病気だから、皆と少しづつ連絡を絶っていく、なんて哀しいことを言います。

 しかし、彼がどんなに私を忘れようと、私は、永遠に、片時も、忘れません。

 片時も忘れないなんて、

 ふん!嘘吐け!

 と、仰るなかれ、私は、五十年間も片時も忘れない実績を持つ男なんですから。

 はははは



 我思う、故に我在り


 「思う」とは想い出のことで、次のように言い換え出来るんじゃあないでしょうか。


 我思われる、故に我在り


 楽しい想い出として他人の心に残っていれば、それは、生きているのと同じ。


【解説】


 「我思う、故に我在り」は、十六世紀のフランスの哲学者・デカルトが、著書『方法序説』の中で用いた言葉。

 「世の中の全てのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことが出来ない」

という意味だそうで、近代的な合理論の出発点となった命題だとされている。

 英語: I think,therefore I am.

 フランス語: Je pense,donc je suis

 ラテン語: Cogito,ergo,sum (コジト・エルゴ・スム)


【プロフィール】

 ルネ・デカルト (1596~1650年、54歳没)。フランスの哲学者、数学者。


 次の文   前の文   索引    TOP‐s