国語審議会による改悪その1


1.はじめに


  戦後の国語改変は、昭和21年(1946年)11月5日に国語審議会が答申し、同年11月16日に内閣が告示から始まった。

  当用漢字(とうようかんじ)による漢字制限、「現代かなづかい」「新字体」などが、その内容である。

  これらの改変は、国語改良論者と称する似非(えせ)改良論者が、「実用的」という(みの)で「国語ローマ字化」の魂胆を覆って隠した陰湿な策略で成し遂げたものであった。


  国語ローマ字化論者、または、カナモジ論者(漢字を廃止し假名文字化しようとする論者)は、明治中期にも現れたが、森鴎外や芥川龍之介などの反対で一度立ち消えた。

  ところが、第二次世界大戦後、米国占領下において教育使節団が、無知蒙昧(もうまい)にもローマ字化を勧告した。

  これに勢いを得た国語ローマ字化論者に、更に強い味方が加勢した。

  それが新聞社。

    当時の新聞は、活版印刷で、活字合金を使った熟練の職人技によって成り立っていた。
    それが、漢字数が半数になる上にルビを振らなくてよくなれば、作業時間は半分以下になる。

  改変内容が「非語学的」であるとの専門家の意見など無視して、新聞社は目先の利益に走った。

  似非(えせ)改良論者は、これ以上ない賛同者を得て、当時の政府を説き伏せたのだ。

  すなわち、昭和21年以降の国語審議会による「改変」は、「改悪」だったのである。



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