漢文とは何か その1


我が国では、チャイナの文章を「漢文」と呼ぶ。

チャイナ人は元々「漢人」である。

その民族が発明した言語が「漢字」で、チャイナでも「漢字」と呼ぶ。

従って、漢字で書かれた文章を「漢文」と呼べば良さそうなものだが、そう呼ばない。

チャイナでは、昔の文章という意味の「古文」、または、「文言文(ぶんげんぶん)」と呼ぶ。


よって、「漢文」は「日本の漢文」となる。

古代、日本には、(おん)だけの話し言葉はあったが、固有の文字が無かった。

そこで、漢字を直輸入し自らの字とし、「漢文」も訓読法を編み出して読み下す様になった。


長い年月を経て、漢字は国字と化し、「漢文」は和文と共に文章界を二分してきた。

よって、我が国において「漢文」とは、チャイナ人の作った文語体(ぶんごたい)の詩文だけでなく、我が国の人々が作ったものも対象とする。


古代チャイナにおいて、文章は、白話文(はくわぶん)(口語文)と文言文(ぶんげんぶん)(文語文、ここでは「漢文」)に分かれる。


元々、漢文(文言文)は、口語とは懸離(かけはな)れた知識階級の文学用語であった。

近代、漢字の難しさと、国土の広大さによる言語の違いなどから、漢文は、さらに、一般大衆の言語と遠く懸離(かけはな)れた。


これは、チャイナ政府において、政治的統一と近代化を推進する上で、大きな障碍であった。

よって、全国民に意思疎通を図る為の一般大衆にも解る共通の言語が必要となったのである。


チャイナで1910年、『新文化運動』が始まり、この指針の中に「文字改革」が謳われた。(日本:明治43年)

これは、言文一致(げんぶんいっち)が主眼で、書き言葉の古文(漢文)から、話し言葉としての白話への転換を推進するものだった。

 (「白話運動」とも呼ぶ)。

現代のチャイナの言語は、この白話運動の結果である。



口語文は、どの国に措いても、口語が変遷するので、二三百年前の口語文は理解不可能となる。

しかし、文語文(ぶんごぶん)は、多少の変遷はあっても、古今東西、ほぼ同一である。


漢字は、「表語(ひょうご)文字」。

一漢字は一字一語で、「表意(ひょうい)文字」ともいう。

対して、音声のみを表す仮名、ローマ字の類を「表音(ひょうおん)文字」という。


漢字の音韻(おんいん)も、時代とともに変遷したが、字義は古今を通じてほとんど変化していない。

従って、三千年前の漢文も、漢字の字義を知り文言(ぶんげん)の語法に熟知している人であれば、チャイナ語が話せなくても、読解できる。


漢字の音韻は、地域によっても異なる。

例えば、

「兄弟」は、呉音では「キョウダイ」、漢音では「ケイテイ」。

「弟子」は、呉音では「デシ」、漢音では「テイシ」。


「京」を呉音では「キョウ」、漢音では「ケイ」、唐音では「キン」。

「行」を呉音では「ギョウ」、漢音では「コウ」、唐音では「アン」。

「明」を呉音では「ミョウ」、漢音では「メイ」、唐音では「ミン」。

などである。

しかし、前述した様に、字義は共通認識である。


だからこそ、漢文に限らず、文語文を勉強することは、古人の叡智を学ぶ上で、欠かせないのである。


  <「その2」へ続く


【解説】

○文言文(ぶんげんぶん)・・・チャイナにおける文語文。「書き言葉」の意。「話し言葉」は白話という。古文ともいう。

 先秦時代にはかなり固定化し、共通語の役割を果すようになった。

 口語とはかけ離れた知識階級の文学用語として、二十世紀まで大きな力を占めた。

 日本で通常「漢文」と称するチャイナ古典文がほぼそれに相当する。

 なお、文言(もんごん)と発音すると、「文章や手紙の中の言葉」という意味になり、文言(ぶんげん)と異なる。


○文語(ぶんご)・・・文字言語、書き言葉のこと。口語の対。

 場面に依存することが少く、推敲しながら書くために、話し言葉に比べて不整表現が少く、硬い表現が用いられるのが普通。

 日本では、現代語に基づく口語文と、言文一致以前に用いられていた平安時代の文法に基づく文語文とがある。

 文語体(ぶんごたい)には、候文、普通文、擬古文、和漢混交文などがある。


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