ちょっと一服  その72 我思う、故に我在り。その2              2022.07.07



 高校三年生のときに振られた女の子と二十数年後に再会した。

 きっと、

 「えっ!誰?」

 「付き合っていた?そうだっけ?ゴメン!」

 と、名前すら忘れられているんじゃないか、と恐る恐る電話したのが切っ掛けだった。


 ところが。

 彼女の記憶は、私に勝るとも劣らないものだった。

 キャーッ!!

 生きていて良かった!!

 人生で、これほど実感したことはない。

 彼女は、想い出の破壊者じゃなかった。

 ヨカッタ~!


 先回、同窓会で一瞬で中学時代に戻る、と書いた。

 勿論、私と彼女の記憶も一瞬で高校時代に戻った。

 ところが、彼女は「遠い昔」と言ったのだ。

 解るだろうか。


 中学時代の同窓生とは、卒業してから今日までの間に何もなかった。

 だから、中学時代と今日とが、時間を超えて繋がってしまい、「昨日な」と思わず口走ってしまいそうになる。


 しかし、私は、彼女のことを、高校卒業から忘れられず、毎日を過ごして来た。

 二十数年間の時間が、脈々と流れ、記憶に刻まれている。

 だから、高校時代を振り返ると、「遠い昔」となってしまう。


 驚いた。

 まさか、彼女が、私と同じ感覚だとは・・・


 そんな彼女と、さらに、二十年後。

 記憶力の良かった彼女も、とうとう、昔のことは憶えてない、と、宣言した。

 嗚呼(ああ)

 そうか!

 やっと終ったんだ!

 人の記憶から消えた時に、物事は終る。

 いくら肉体が残っていようが、意味はない。


 我思う、故に我在り


 「思う」も「在る」も想い出ではないか。


 彼女の肉体が在ったとしても、

 彼女の記憶に、僕が存在しなくなったら、

 彼女はこの世に存在しないも同然である。


 僕の肉体が生きていても、

 彼女の記憶に、僕が存在しなくなったら、

 僕は死んだも同然である。


 と、私は、理解している。


 ははは、デカちゃん、どう?


【解説】


 「我思う、故に我在り」は、十六世紀のフランスの哲学者・デカルトが、著書『方法序説』の中で用いた言葉。

 「世の中の全てのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことが出来ない」

という意味だそうで、近代的な合理論の出発点となった命題だとされている。

 英語: I think,therefore I am.

 フランス語: Je pense,donc je suis

 ラテン語: Cogito,ergo,sum (コジト・エルゴ・スム)


【プロフィール】

 ルネ・デカルト (1596~1650年、54歳没)。フランスの哲学者、数学者。


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