劉備の配下に侍従の
この孫乾が
建安6年(201年)、曹操に追われて逃げてきた劉備は、荊州の劉表を頼ろうとした。
その使者に孫乾が名乗り出た。
面会の前に、
「劉備は疫病神です。劉備を受け入れれば、
虎の子を招き入れる様なもの。どうぞ追い返して下さい。」
劉表と孫乾は、一通りの挨拶をした後。
劉表「
孫乾「いえ、劉表殿を助けようとして来たのです」
劉表「何?
孫乾「曹操は袁紹を倒して、次は荊州を狙っております。」
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ここで蔡瑁が目くばせをしたので、劉表は孫乾を一旦下がらせた。
蔡瑁は「あの使者の首を斬って、曹操へ送り恭順の意を示せば、曹操は攻めて来ません。」
と劉表に具申した。
劉表は再び孫乾を招じ入れた。
劉表「ある者が貴殿の首を曹操へ送れば、荊州へ攻めて来ることはなく、
孫乾「はっ!はっ!はっ!首を
劉表「意見は広く求めねばならんからのう」(笑)
孫乾「私
しかし、私が曹操なら高笑い致しましょう。
『まだ兵も出しておらんのに劉表は恐れをなして首を送ってきた。ならば軍を十里進めれば、降伏するに違いない』と。
来年出陣する予定でいたものを、首が届けば前倒しして攻めるでしょう。
さらに2人目の強敵を作ることにもなりますぞ」
劉表「その2人目とは?」
孫乾「劉皇叔です!」
劉表「むむむ!なるほど!貴殿の様な義士が
孫乾「あははは、私など、取るに足りません。他に優れた者が五十名程居ります。その後に私が続くのです。」
劉表「そうか!是非、皇叔殿にお目に掛かろう!お越し下さる様、お伝え下れ!」
蔡瑁は、苦虫を噛み潰した様な顔をした。
翌日、劉備と懇談した劉表は、大いに気に入り、劉備を
【荊州の内情】
劉表は御年六十。若い頃は勇猛果敢で名を馳せたが、今は守備に専念していた。
劉表の悩みの種は内政で、原因は後妻の蔡夫人とその弟・
蔡夫人は、自分の子・
また、前妻の長子・
荊州軍の主な将は蔡一族で固めており、蔡瑁が実権を握っていた。
劉表が死去すれば、荊州は蔡一族のものとなる。
劉備が荊州に身を寄せた後、劉表は、劉備に後継者問題を相談した。
劉備は「長子・劉琦様を」と助言したが、それを盗み聞きしていた蔡夫人は、弟・蔡瑁と劉備殺害を
【人物プロフィール】
〇孫乾(そんけん) 字は公祐(こうゆう)
徐州出身の文官。陶謙の推薦を受け、劉備の侍従となる。
助言したり、留守を守ったりする。
やがて、劉備は曹操に反逆し、袁紹を頼ろうとする。
孫乾は袁紹の元に赴き、鄭玄による紹介状を見せ、承諾を取り付ける。
少しのち、関羽が曹操の客将となり、その後劉備の元に戻ろうとする。
孫乾は劉備・関羽の間を行き来し、各々の相談役を務め、段取りを整える。
〇三国志には「そんけん」が三人登場する。
呉の孫権の父も孫堅である。そして、三人目が、この孫乾である。但し、彼らは字で呼ぶので混同しないのだろう。
〇劉表(りゅうひょう) 字は景升(けいしょう)
チャイナ後漢末期の政治家・儒学者。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。
劉表は威容は堂々とし、外面は寛大に見えたが、内面は猜疑心が強く、謀事を好むが決断力に欠けた。
良い人物を用いることが出来ず、良い進言を実行することが出来なかった。
後継争いも蔡夫人と蔡瑁の魂胆が見抜けず、長子・劉琦を廃して庶子・劉琮を後継に立てた。
結局、死後に国を失うこととなった。
三國志演戯では、劉表と袁紹を優柔不断のリーダーの見本としている。