この朱子学の説明は、私(還暦ジジイ)のメモ書きで、辞典等からの切り貼りに過ぎません。
「朱子学」は日本で使われる用語であり、チャイナでは、「
朱子は南宋の
朱子は、程顥(明道)と程頤(伊川)の二人の学問を継ぎ、発展させ大成した新しい儒学が「朱子学」。
朱子学は、理気説を基本に、人の本性は理であり善であるが、気質の清濁により聖と凡の別があるとし、
敬を忘れず行を慎んで外界の事物の理を窮めて知を磨き、人格・学問を完成する実践道徳を唱えた。
日本では江戸幕府から官学として保護された。
朱子学は、社会の統治を担う士大夫層の学として受け入れられたが、慶元の時代に弾圧された。
その後、一転して理宗の時代に孔子廟に祀られ、元代の時代には科挙試験に認定されるに至った。
その結果、朱子学を学ぶことが重視され、逆に他の学説は「偏屈な人、変わり者」の学説とする風潮が醸成された。
明代、科挙合格の為に過熱し、道徳的実践の本質を損なうようになった。
そこで朱子学者たちは、陸心学を取り入れて道徳実践を補完するようになり、この中で王守仁の「陽明学」が誕生した。
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【語彙説明】
チャイナ宋代の儒学者、
チャイナ宋代の学者の唱えた学問の総称。特に
経書の
【プロフィール】
〇
若くして
著書『定性書』『識仁篇』など。
〇
西暦1130~1200年。チャイナ、南宋の思想家。
北宋の
後世に大きな影響を与えた。
著「