漢文は、圧縮した表現を尊ぶ。
形式的にも内容的にも
言い換えれば、どうしても省くことのできない語句だけを綴り合わせ、表現していない部分は読者の想像に
要するに、短文を好む。
しかし、この様な方法は、気迫と含蓄に富む一方、表現の不徹底を招き、誤読され易い。
これを補う一つの方法が、故事・諺である。
故事・諺は、春秋戦国時代のものが約80%を占め、知識人
この知識がなければ、漢文は理解できないと言っても過言ではない。
例えば、「
一言で言えば「死んだ人の言行を非難する」という意味なのだが、故事を知らなければ、真意は何も伝わらない。
この言葉は、春秋時代、伍子胥が、楚の平王の墓を暴き、屍を掘り出して、鞭を打った、という故事から生まれた。
普通、生前に悪行を重ねた奴でも、死んでしまえば、赦すというか、諦めるのが、古今東西、一般的であろう。
それを、いくら腹の虫が収まらないとは言え、墓を暴くなどとは、罰当たりも甚だしい。
ならば、伍子胥は、非常識で、人一倍執念深く、残忍な男なのだろうか。
否、そうでもないのだ。
『史記』の『伍子胥伝』を読んで、初めて、理解できる。
「
漢文の書き手は、故事を共通認識とする。
そして、省略した文章を読者の想像で補って貰うのだ。
四字熟語は、この故事・諺を
続く・・・