『五雑組』 天部 一 「閩中の雪」 (びんちゅうのゆき)       赤字が出題された箇所

  ~ 雪花零落、(わた)の如し ~


【還暦ジジイの説明】


 『五雑組』(ござっそ)は一種の百科全書的な用途で利用された書物で、博覧強記の謝肇淛(しゃちょうせつ)が著した随筆集。

 著者の謝は、有能な行政官でもあり、多才な詩人でもあった。

 天・地・人・物・事の五部に分け、古今の文献や実地の見聞などに基づいた幅広い話題を、柔軟で科学的な観察眼で取り上げている。

 科学的とは言っても現代の科学に及ぶものではないが、当時では、相当斬新な意見であったと想像される。

 儒家や孟家を批判する哲学的なことから、昔話・神話的なこと、宗教のこと、あらゆる話題について語っており、なるほど百科全書的な用途で利用されたのも頷ける。

 特に民俗に関するものには興味深い文章が多く、江戸時代の日本でも人気の書物だったらしい。

 日本の落語に「饅頭こわい」と言う(はなし)があるが、元ネタは、この『五雑組』に有る。



 『五雑組』 天部 一 「閩中の雪」


【現代口語訳】

 閩中(びんちゅう)では雪は降らない。しかし、どうかすると十余年に一度ぐらい降ることもある。

 すると、子供達が狂喜して走りまわり、生れてこのかた雪を見たことがなかったのだと言う。

 私が(おも)うに、万歴十三年(西暦1585年)の二月初旬、天気が急に寒くなり、家の中で弟妹(おとうといもうと)たちを集め、

火をおこし、牡蠣(かき)(から)(あぶ)って食べていたところ、(にわ)かに雪が柳絮(りゅうじょ)のように舞い落ちて来て、

数刻を過ぎると、深さ六、七寸に積った。

 子供達は先を争って雪を集めて鳥や獣をつくり、盆に置いて(たわむ)れ楽しんだ。

 故老(ころう)の言によると、「数十年雪を見たことがない」とのことであった。

 嶺南(れいなん)に行くと絶無である。

 柳子厚(りゅうしこう)韋中立(いちゅうりつ)に答えた手紙に「二年冬大雪が降って(みね)()え、南封(なんぽう)の数州をおおいました。

 数州の犬はみな慌てふためいて()みついたり吠えたりで、何日もの間、狂ったように走り回りました」とある。

 この言葉は当然で、でたらめではない。


【読み下し文】




【原文】


 閩中無雪、然間十餘年、亦一有之、則稚子里兒、奔走狂喜、以為未始見也。

 餘憶萬歷乙酉二月初旬、天氣陡寒、家中集諸弟妹、構火炙蠣房啖之、俄而雪花零落如絮

逾數刻、地下深幾六七寸、童兒爭聚為鳥獸、置盆中戲樂。

 故老云:「數十年未之見也。」至嶺南則絕無矣。

 柳子厚答韋中立書云:「二年冬、大雪窬嶺、被越中數州、數州之犬皆倉皇噬吠、狂走累日。」此言當不誣也。


【語彙説明】

〇五雑組/五雑俎(ござっそ) ・・・ 明代の謝肇淛の随筆集。天地人物事の5部全16巻。

 書名は「五部を(まじ)えた(くみ)ひも」の意で 『五雑組』と書くのが正しいが、『五雑俎』と書かれることも多い。


〇閩中(びんちゅう、みんちゅう) ・・・ 現在のチャイナ福建省福州市。

〇嶺南(れいなん) ・・・ 五嶺の南の地。広東・広西・安南の地。

〇柳子厚(りゅうしこう) ・・・ 唐の文章家・柳宗元(りゅうそうげん)。子厚はその字。山西河東の人。西暦773~819年。46歳没。

 王叔文の事件に連座して永州の司馬、さらに柳州の刺史に移された。
 韋中立に答えた手紙はそのときのもので、『唐柳先生集』巻三四に収める。

【著者プロフィール】

 謝肇淛(しゃ ちょうせつ) チャイナ明代末期の官吏、著述家。

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【出典 参照】

 『五雑組』 謝肇淛・著 岩城秀夫・訳注 東洋文庫605 平凡社 1996年(平成8年)9月9日発行




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