『史記』 孝文本紀 第十    より抜粋     赤字が出題された箇所

  ~ 法正しければ則ち民愨み、罪當れば則ち民従ふ ~


【ジジイの説明】


 「孝文帝」は「文帝」とも呼ばれ、劉邦の四男・劉恒(りゅうこう)のことである。

  孝文帝は、母の薄氏に対して自ら毒味役を務めたりと孝行な皇帝であるとして、後世二十四孝に数えられた。
  これに因り文帝に孝行の「孝」を頭に付けて「孝文帝」と称された。


 第五代皇帝なので、呂后の院政のあとの政権である。

 呂后とはご存知『チャイナ三大悪女』の筆頭。

 残酷極まりない女だ。


 劉邦は存命中、各国の王を自分の息子達(呂后の子供以外も沢山)及び劉一族で塗り固めていた。

 しかし、呂后は、劉邦が崩御(ほうぎょ)すると、(ことごと)く劉一族を誅滅(ちゅうめつ)し、呂一族に塗り替えた。


 そんな中で、孝文帝こと劉恒は何故生き延びることが出来たのか?


 一言で言うと、母の薄氏(はくし)が聡明だったのだ。

 母子ともども劉邦に寵愛されない様にして、僻地の小さな代国への生活を望み、質素に暮らした。

 また、息子の劉恒も野望を抱かない控え目な性格で、母を大切にする孝行息子だった。

 だから、呂后は軽視した。


 呂后が死去して後、皇帝に即位した孝文帝は仁政に励んだ。

 母に似て賢明だったのだ。

  民力の休養と農村の活性化を念頭に、在位期間は減税を数度実施した。
  大規模工事は急を要するものを除き停止。
  自らも質素な生活を行い、宮中で楼閣を設ける計画も中止を命じた。
  自分の陵墓を高祖や恵帝に比べて小規模なものとした。
  法制度の改革では、斬首・去勢を除く残酷な肉刑の廃止を行った。


 民も国庫も大いに潤い国力を恢復(かいふく)した。

 戦争が無く、平和で安定した時代が続き、民衆に歓迎されたのは言うまでもない。

  次の景帝(劉啓)も、これを継承し、二人の治世を讃えて『文景の治』と称され、前漢の皇帝のなかで理想的とされた。


 今回、抜粋した「法正しければ則ち民愨(たみつつし)み 」は、孝文帝の有名な言葉で、

 罪人の父母・妻子・兄弟まで同罪視することを憂え、役人(官僚)たちに、再考するように言い渡した場面である。



<孝文本紀 第十>

【現代口語訳】


 十二月、天子は(みことのり)していった。

 「法は天下を治める正道指針である。(ぼう)を禁じて、善人をしてますます善行に親しませることのできるものである。

 ところが、今は、法を犯して、すでに罪人を訟論し処分してから、さらに罪のないその父母・妻子・兄弟まで連坐させ、

 投獄服罪させている。朕は全然賛成しない。それ卿らはよく検討してみよ」と。


 役人たちは皆、「民はみずから治めることはできません。ですから、お上で法を作って邪悪を禁ずるのです。

 一族を連坐させ、同罪にすることは、その心を煩わし憂えしめて、法を犯すことの重大であることを、

 人民の心に深く感ぜしめんがためであります。

 この制度・法律の由って来ることは遠い昔からでありまして、旧来の通りにしておく方が便利かと存じます」と申し上げた。


 皇帝は言った、「朕は聞いている。法が正しければ民は慎み、罪が正当であれば人民は服従するものだ、と。

 かつ、また、人民を養ってこれを善に導くのが役人である。その役人が民を善に導くことが出来ず、その上また、

 不正の法をもって、これを罪するなら、これはかえって民心をそこない、人民に対して乱暴をなすことになる。

 そのような者が、どうして人民の邪悪を禁ずることができようか。朕には、とても一族連坐の便利は理解できない。

 卿らは、よくこれを考慮せよ」と。


 役人らは皆いった、「陛下には人民に大恵を加えられ、御徳は甚だお盛んで、とても臣らの及ぶところではありません。

 謹んで詔旨を奉じ、收帑および諸々の連坐の罰則法令を除くことにいたしましょう」と。


【読み下し文】


 十二月、上曰く:「法は治の正なり。暴を禁じて善人を率いる所以なり。

  今法を犯せるをば已に論じ、而して罪毋きの父母・妻子・同産をして之に坐せしめ、及び收帑と為す。

  朕、甚だ取らず。其れ之を議せよ、と。」


 有司皆曰く:「民、自ら治むること能わず。故に法を為りて以て之を禁ず。相坐(あいざ)し、坐收するは、其の心を累はし、

  法を犯すことを重んぜしむる所以にして、従って来る所遠し。故の如くせんことを便なり、と。」


 上曰く:「朕聞く、法正しければ(すなわ)民愨(たみつつし)み、罪(あた)れば(すなわ)ち民従ふ、と。且つ夫れ民を(やしな)ひて之を善に導く者は()なり。

  其れ既に導くこと(あた)はず、又、不正の法を以て之を(つみ)するは、是れ(かへ)つて民を害して(ぼう)を為す者なり。

  何を以て之を禁ぜん。朕、(いま)だ其の便(べん)なるを見ず。其れ之を熟計(じゅくけい)せよ、と。」


 有司皆曰く:「陛下、大恵(たいけい)を加へ、徳甚だ盛んなり。臣等(しんら)が及ぶ所に(あら)ざるなり。

  ()詔書(せいしょ)を奉じ、收帑(しゅうど)し諸々の相坐するの律令を除かん、と。」


【原文】


 十二月、上曰:「法者治之正也。所以禁暴而率善人也。

  今犯法已論、而使毋罪之父母・妻子・同產坐之、及為收帑、朕甚不取。其議之。」

 有司皆曰:「民不能自治。故為法以禁之。相坐坐收、所以累其心使重犯法、所從來遠矣。如故便。」

 上曰:「朕聞、法正則民愨、罪當則民從。且夫牧民而導之善者吏也。

  其既不能導、又以不正之法罪之、是反害於民為暴者也。

  何以禁之。朕未見其便。其孰計之。」

 有司皆曰:「陛下加大惠、德甚盛。非臣等所及也。請奉詔書、除收帑諸相坐律令。」



【語彙説明】

 治之正 ・・・ 政治の正道指標。

 已論 ・・・ 既に罪状を論じて決定する。

 同産 ・・・ 家族。

 坐 ・・・ 連座。その人の罪を同族へ及ぼす。

 收帑 ・・・ 一族を収めて同罪にする。収は拘収。帑は孥に通じ、妻子のこと。

 相坐 ・・・ 罪人の罪と一族が同じ罪になること。

 累其心 ・・・ 心配し、もだえうれえること。

 重 ・・・ 難からしめる。

 愨 ・・・ 謹と同じ。

 牧 ・・・ 養う。

 除 ・・・ 廃止する。

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【出典 参照】

 『新釈漢文大系』 「史記」 明治書院



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