中国三大悪女 「呂太后」  第十一話


チャイナ三大悪女の候補は色々居るが、必ず、入閣する(笑)のが呂太后(りょたいごう)西太后(せいたいごう)だ。

今回は、呂太后について。

呂太后は、漢の高祖・劉邦(りゅうほう)の正妻である。

彼女が何故、悪女か?

それをまず御浚(おさら)いしよう。


古代チャイナの王や皇帝は、第一夫人、第二夫人、愛妾など、百人とも三百人とも推定される女を養っていた。

その世話をする下女や宦官(かんがん)を含めると宮中だけで三千人を数えたとか。

高祖・劉邦も何百人か女を擁したが、終生寵愛(ちょうあい)したのが(せき)夫人である。

残念なことに彼女は、庶民的頭脳だったでしょうねえ。

あろうことか自身が産んだ息子・如意(にょい)を太子にして()しいと、劉邦に懇請した。


これが正妻・呂太后の逆鱗(げきりん)に触れた。

まあ、当然ですね。

ただでさえ、嫉妬心に燃えているのに、後継争いにしゃしゃり出るとは、堪忍袋の緒が切れた。

ここから、悪女と呼ばれる所業が始まる。


劉邦が逝去した翌月、呂太后は戚夫人に濡れ衣を着せ投獄。

坊主頭にし、ボロ着を与え、手足に(かせ)を嵌め、只管(ひたすら)奴隷のように扱い、石臼(いしうす)()かせた。

次に、戚夫人の息子である如意を毒殺。

呂太后は如意が悶え苦しんで死んだ様子を、獄中の戚夫人に事細かに話す。

嘆き悲しむ戚夫人を裸にし、両足を広げ、「この穴が夫を咥え込んだか!」と陰部を踏みつけた。

続いて、凶悪な囚人を何人も連れ出してくると、代わる代わる強姦させた。


更に、劇薬を飲ませ(おし)にし、両目を(えぐ)り、耳に溶かした硫黄を流し込んで(つんぼ)にし、手足を切り落とした。

これらは全て「絶対に殺すな!」、と、厳命して医者に処置させている。

仕上げは、(かわや)へと放り込み人糞(じんぷん)(まみ)れさせ、「人豚(じんとん)」と罵倒し、嘲笑(あざわら)ったそうだ。


ところがこれで終らなかった。

呂太后は自分の息子の恵帝を呼び寄せ、戚夫人の変わり果てた姿を見せて高笑いしたのだ。

息子に帝王学を教える積りだったのか、自分と同じように笑うだろうと思ったのか。

しかし、心の優しい恵帝は、衝撃で悩乱し、寝込み、在位わずか七年、二十三歳の若さでこの世を去った。


恵帝には正妻との間に子供がいなかった。

呂太后は、側室との間に生まれた子を正妻の子だと偽り、少帝(きょう)として帝位に就け、実の母親は殺害した。

跡を継いだ少帝恭はまだ赤ん坊であるため、呂太后が後見として政務を執る、則ち、院政を敷いた。


「各国の王は、劉一族が承継すること」が、劉邦の遺言だった。

  註:各国は、それぞれの王が統治し、その上に皇帝が君臨する形である。王とは現代日本で言えば各県の知事みたいなもの。

しかし、呂太后は全て劉一族だった前任の王を次々と殺し、後釜に呂一族を就けていった。


少帝恭は即位四年目、自身の生母が呂太后に殺されたことを知り、恨みを抱いた。

これを耳にした呂太后は少帝恭を幽閉(ゆうへい)し、重病に(かか)ったと偽り、またしても殺害した。


と、まあ、こんな具合です。


私は、この話を初めて読んだとき、吐き気を催した。

人間が権力を握ると、残虐になれることは知っていた。

しかし、国家権力が(ほしいまま)になると、ここまで出来るのか、と、絶句した。


えっ!今のチャイナ政府が香港、チベットでやってることも同じだって?

あっ!本当だ!


【解説】

呂太后(りょたいごう)・・・劉邦の正妻。劉邦が亡くなった後は本来「太后」だが、歴史では呂后(りょごう)とも称されている。


チャイナ三大悪女の候補

 1.呂太后、西太后、武則天
 2.呂太后、西太后、楊貴妃
 3.呂太后、西大后、江青

 この中で楊貴妃(ようきひ)だけは、絶対、悪女ではありませんね。

 玄宗皇帝が勝手に溺愛しただけのことで、政治には一切口を出していませんからね。

 チャイナ三大美女には必ず名を連ねます。

 西施(せいし)貂蝉(ちょうせん)は、工作員としての役割を担ってましたが、楊貴妃は単に寵愛(ちょうあい)されただけです。

 まあ、それでも、傾城傾国(けいせいけいこく)の女だったことには違いありません。



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